野球グローブ生産の歴史
- 1839年天保10年
- アメリカで野球が始まる。
初めは全て素手で捕球していた。
- 1875年明治8年
- 野球でグローブを使うようになる。
- 1896年明治29年
- 日本で野球をするようになる。
- 1910年明治43年
- 国内でスパイクが製造されるようになる。
- 1913年大正2年
- 国内でグローブが製造されるようになる。
- 1921年大正10年
- 三宅町でグローブ製造が始まる。
- 1945年~昭和20年
- 太平洋戦争が終わり、終戦後野球が盛んになり、野球グローブを求める人が増える。
- 1952年昭和27年
- 機械を使用して裁断を行うようになり、ますます生産が増える。
- 1953年昭和28年
-
生産過剰となり、年間稼働が難しくなった。
そこで、グローブ・ミットの生産と皮手袋、革ジャンバーの生産を季節的に配分した(二毛作)。
春~秋:グローブ・ミットの生産
秋~冬:革手袋・革ジャンパーの生産
- 1956年昭和31年
-
グローブ・ミットの輸出が始まる。
日本経済の発展と共に物価や賃金上昇によりグローブ・ミットのコストも上昇し、バイヤーも採算が合わなくなり、発展途上国へと生産の指導を行う様になる。
- 1970年昭和45年
-
グローブ・ミットの輸出量がピーク(約587万個)になる。
以降受注が減少していく。
- 1972年昭和47年
- 奈良県の桜井市(大福、初瀬)、川合町(穴闇)、三宅町での製造が国内生産の90%を占めるようになる。
- 1973年昭和48年
-
オイルショックとドルショックによりグローブ・ミットは崩壊的危機に直面する。
以降、グローブ・ミットの輸出はやめ、国内向けに生産を行うようになる。
- 1990年~平成2年
- 大手メーカーが海外に工場を作って、グローブをつくるようになる。
- 2000年~平成12年
- 三宅町のグローブ生産者は、自社ブランドを作り商品の高級化と各個人の様々な要求に応えることができる機動性に富んだ生産体制を確立している。
- 2021年令和3年
- 三宅町グローブ生産から100周年を迎える。
閉じる
What's New